1996年10月10日(木)
場所:九州大学六本松キャンパス第1階会議室
発表者
1,李薫「朝鮮後期における日本人の朝鮮漂着と送還」
2、豊見山和行「琉球史における漂流・漂着研究の現状と課題」
3,池内敏「幕末維新期の日朝漂流民送還制度
4,木部和昭「長州藩における朝鮮人漂着民と朝鮮人通詞」
2009年10月28日水曜日
2009年10月25日日曜日
崔承喜昭和19年1月帝劇公演パンフ

朝鮮中央テレビ 崔承喜の特番放送
「民族舞踊の発展に寄与」
朝鮮中央テレビは5日、崔承喜の朝鮮での活動を紹介する番組を放送した。
番組は崔承喜を「現代朝鮮民族舞踊の発展に寄与した舞踊家」だとしながら、金日成主席や金正日総書記が彼女の活動を支援したエピソードなどを中心にその業績を紹介した。
また、1946年にソウルから平壌へと移ってきた崔承喜のために、主席と金正淑女史の配慮で「崔承喜舞踊研究所」が設立された事実や、主席が朝鮮戦争の最中に朝鮮人民軍の最高司令部を訪ねた崔承喜に対して、中国へ避難するよう配慮したことなどを取り上げた。
番組では崔承喜の甥にあたるチェ・ホソプ氏(金星学院舞踊特設講座教員)、文化省のハン・チョル次官、平壌舞踊大学のリ・スボク准教授、洪貞花書記長など朝鮮舞踊界の重鎮が登場し、朝鮮舞踊の発展における彼女の功績について語った。(陽)
[朝鮮新報 2009.8.12]
2009年10月22日木曜日
2009年10月17日土曜日
2009年10月16日金曜日
2009年10月14日水曜日
@秘第五七二号 朝鮮総督府判事淺見倫太郎儀
為替貯金局事務官補名越正吉○朝鮮総督府判事浅見倫太郎○朝鮮総督府逓信事務官補伊藤喜久馬外一名同上(台湾総督府通信事務官補松尾宗幽○広島高等師範学校教授神田正悌外二名賞与ノ件)ノ件
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@秘第五七二号 朝鮮総督府判事淺見倫太郎儀病気ニ依リ今般退職ヲ命スヘキコトト相成候処同人ハ明治三十九年六月統監府法務院評定官就任以来引続キ今日ニ至リタル者ニシテ多年勤労成績不少ニ付此ノ際賞与金左記ノ通給与致度茲ニ認可ヲ請フ追テ賞与ニ充ツヘキ金額ハ予算定額内ヲ以テ支辨シ得ル義ニ有之候
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@秘第五七二号 朝鮮総督府判事淺見倫太郎儀病気ニ依リ今般退職ヲ命スヘキコトト相成候処同人ハ明治三十九年六月統監府法務院評定官就任以来引続キ今日ニ至リタル者ニシテ多年勤労成績不少ニ付此ノ際賞与金左記ノ通給与致度茲ニ認可ヲ請フ追テ賞与ニ充ツヘキ金額ハ予算定額内ヲ以テ支辨シ得ル義ニ有之候
日本における韓国学
日本における韓国学
--- 人文学を中心に ---
松原孝俊(九州大学韓国研究センター教授)
発表要点
1,1945年以降の韓国学専門家は、1980年半ばを境にして、2種類(「韓国学コース非履修」型と「韓国学コース履修」型」に大別できる。前者の研究スタイルは、その出発時からInterdisciplinaryであるのに対して、後者のそれは単一のDisciplineにとどまりがちである。
2,1990年代に入り、学問の細分化に伴い、若手研究者が発表する研究論文の多くは狭い研究視野の中で対象を分析するので、問題意識が不鮮明になりがちとなり、学界に対してインパクトある結論を提示できず、またしばしばその気迫に欠けがちである。その理由として、物質的豊かさの中で韓国研究を開始したために、その内的必要性が不十分であると共に、各自の人文学的基礎が欠けたり、教養の厚みを持たないためであると推測される。
3,かって日本語で公表された論文は、各分野の最先端の研究であり、世界のスタンダードであった。しかし、今では、日本語で公表された研究論文の数は、世界第2位の生産量であるにもかかわらず、世界の韓国学者の必読文献ではなくなりつつある。そうした日本における韓国学の現状と課題は、「1,研究・教育の細分化と閉鎖性、2,社会が直面する現実的課題への関わりの希薄さ」にあると指摘した。
4,書誌研究や考古学的編年など日本人が得意とする「職人型研究スタイル」は、たとえ「社会にすぐに役に立たない」基礎研究であるとしても、今後共に進展させるべきである。それとともに、日本の韓国学が、
①現代的諸問題の解決への貢献
②東アジアを中心とした地域共通課題解決型研究へのチャレンジ
の2点に関して、世界のどこよりも先に21世紀型研究課題に着手し、新しい研究モデルを提示できるならば、日本は再び世界の最先端を行く韓国学研究拠点の位置を取り戻すにちがいない。
5,世界の韓国研究のボトムアップのためにも、
①韓国学中央研究院は東アジアデジタル図書館構想を積極的に推進し、Googleによる英語版デジタル図書館、EUによるヨーロッパ言語版デジタル図書館と雁行形態をなすようにすべきである。
②世界から次世代研究者を集めたワークショップを世界各地で開催して、中国研究や日本研究と肩を並べるように、韓国学は優秀な人材確保に努力すること。
6,最後に、日韓の人文学復権のためには、人文学界に「競争原理」を導入しては、どうであろうか。究極的な目的は、それぞれの学界に「欧米発研究モデル」ではなく、「アジア発研究モデル」を提出すべきだと願うからに他ならない。そのために、日本と韓国の人文学関係の学会の国境の壁をなくして、日韓人文学研究Platformの同一化を提案したい。
はじめに
本発表の目的は、かって日本は「韓国学大国」であった。今でも、日本語で公表された研究論文の数は、韓国学において世界第2位の論文生産量を誇るが、現状では世界の韓国学者の必読文献ではなくなりつつあるばかりではなく、その論文の発進力もなくなってきた。その原因を探ると共に、21世紀型韓国学のあり方を模索することで、日本における韓国学が世界の最先端の研究をリードするには、どのように対策を取るべきかを考察することにある。
一
(1-1)本節では、主に1945年以降の日本における韓国学の現況を紹介することとし、それ以前に関しては、必要に応じて言及するにとどめたい。
(1-2)日本において韓国学研究者の数、各自の研究分野・研究活動などに関すデータベースは、日韓文化交流基金作成・管理する『 日本における韓国・朝鮮研究 研究者ディレクトリデータベース』(約800名収録、http://www.jkcf.or.jp/db/)が便利である(注1)。
(1-3)次に、韓半島に対する研究視点・関心・研究目的などの異なりを反映して、2009年段階で、
1, 朝鮮学会--1950年設立、会員数約600名、韓国学全般
①http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html
②会報『朝鮮学報』第1集(1951年)~第210集(2009年)
2, 朝鮮史研究会—1959年設立、会員数約500名、韓国史研究
①http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/chosenshi/katsudo
②会報『朝鮮史研究』第1集(1965年)~第45集(2007年)
3, 朝鮮語研究会-- 1983年設立、会員数不明、韓国語研究・韓国語教授法研究
①http://www.justmystage.com/home/kenkyukai/
②会報『朝鮮語研究』第1号(2002年)~第3号(2006年)
4, 韓国・朝鮮文化研究会—1999年設立、会員数不明、韓国史・文化人類学・社会学など
①http://www007.upp.so-net.ne.jp/askc/index.html
②会報『韓国・朝鮮文化研究』第1号(2000年)~第8号(2008年)
5, 現代韓国・朝鮮研究会—2000年設立、会員数約200名、政治学・経済学
①http://www.meijigakuin.ac.jp/~ackj/front/
②会報『現代韓国・朝鮮研究』第1号(2002年)~第8号(2008年)
6, 朝鮮語教育研究会—2005年設立、会員数不明、韓国・朝鮮語教育
① http://paranse.la.coocan.jp/pukiwiki/index.php?%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
②会報『朝鮮語教育-理論と実践-』第1号(2006年)~第4号(2009年)
の研究者グループが形成され、各学会の研究誌も刊行されている。
(1-4)日本における韓国学の研究データベースに関しては、すでにいくつかの学問分野別に公表されている。
韓国史学---① 『戦後日本における朝鮮史文献目録』(緑蔭書房、1994年)
データ数:1945年から1998年までに発行された単行本440
0件、論文13,561件の合計17,961件
②戦後日本における朝鮮史文献目録(データベース版)
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sengo/
データ件数: 29,963件(2009年9月1日現在)
韓国語--国立国語研究所日本語教育センター・第四研究室(1996)『朝鮮語研究(朝鮮語母語話者に対する日本語教育)文献目録――国内文献及び欧米 文献――(1945~1993)』
文化人類学&民俗学--『文化人類学』・『民族學研究』データベース
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jse/
など、韓国学に関する研究Toolは整備されつつある。
(1-5)さらに言えば、敗戦後50年を契機にして、各研究分野において研究史的回顧が多数公表されている。注目すべき回顧は下記の通りである。
韓国史—三ツ井崇「日本における韓国学研究」2007年韓国学世界大会(現代日本学会分科 Session1 )、2007年
韓国近代文学--三枝壽勝『韓国文学を味わう』(報告書)、国際交流基金アジアセンター、1997年
韓国・朝鮮語教育—中村知史「日本における韓国朝鮮語教育の現状と課題」『人文社会科学論叢』第17号、 pp.49〜59、 2008年
社会科学全般分野--木宮 正史「日本における韓国朝鮮研究をめぐって」、第3回日韓人文社会科学学術会議(2006年8月30日、麗澤大学)
政治・経済--倉田秀也「日本における韓国研究:政治・国. 際関係」、『現代韓国朝鮮研究』創刊号、2001年
二
(2-1)本節では、1945年以降の研究者に関する世代論を論じつつ、日本における韓国学の特質の一端を論じたい。
(2-2)周知の通り、1945年以前の韓国学の中心地は、京城(今のソウル)であった。そこでは、東京帝国大学や京都帝国大学など帝国大学出身者が京城帝国大学や朝鮮史編集会などに勤務しつつ、活躍した時代である。前間恭作・鮎貝房之進・小倉進平・藤田亮策・末松保和・ 藤塚鄰・田川孝三・中村栄孝・今西竜・稲葉君山・三木栄・奥平武彦・四方博・花村美樹・河野六郎らの人文社会学者である。彼らに共通しているのは、「朝鮮本」の収集であった。1910年から1930年代の京城の古書籍商といえば、翰南書林白斗鏞・書買朴駿和・書買朴鳳秀らが著名であるが、彼らから購入した朝鮮本の多くは、敗戦後の混乱の中で散逸した。幸いにも、それ以前に韓半島から搬出された、
前間恭作文庫—東洋文庫所蔵
浅見倫太郎文庫—California大学Berkeley校東アジア図書館
小倉進平文庫—東京大学文学部図書室所蔵
今西竜文庫--天理大学所蔵
三木栄文庫—武田科学振興財団「杏雨書屋」所蔵
などは現存している。これらを一瞥するだけでも、彼らの卓越した研究がいかに強固な基礎的資料の上に作り出されていたかを知るだろう。
しかも彼らの研究Toolは、例えば朝鮮史編集会編「朝鮮史」を編纂するに当たり、彼らが活用したのは、
「朝鮮全道および日本・満洲などに採訪して借用した資料4950点、そのうち重要なものを撰んで作った複本1623冊、本文・史料より成る稿本3500冊である」(『国史大辞典』吉川弘文堂、「朝鮮史編集会」の項目、田川孝三執筆)
という。編纂者たちは20数回の資料探訪を実施して、そのたびに朝鮮各道・日本・中国に及ぶ史料採訪復命書を提出している(注2)。いわば手探りの状態で採訪に出発して、多数の関係資料の発見に成功しながら、研究に着手している。
なお彼らの特色は、旧制高等学校・帝国大学を卒業したエリートたちであっただけに、その漢文読解の実力は卓越していた。生まれが江戸時代に近いほど、その漢文読解力は優秀であった。例えば、田川孝三(1909年生)の談によると、田川より一回り上の藤田亮策(1892年生)が、藤田よりも江戸時代生まれの鮎貝房之進(1864年生)が漢文運用能力に卓越し、鮎貝は漢詩漢文を自由自在に駆使していたという。
しかしながら彼らの欠点は、朝鮮語を解さなかったし、解する必要がなかったことである。
(2-3)敗戦後、リュックサック1つで日本に引き揚げてきた韓国学研究者たちは、まず自らの書斎の再建に取り組んだ。韓国語の大家である河野六郎でさえも、敗戦直後には、大学で韓国語ではなく各種ヨーロッパ言語を教えながら、糊口をしのいだという。日本の大学において韓国学関係研究施設は皆無であったので、他の研究者も同様であった。唯一の例外が、1950年以降、東京都立大学で朝鮮史を講義した旗田巍であった。
主に歴史と言語、宗教など人文学分野を中心として韓半島や満州から引き上げてきた研究者によって戦後の韓国研究が開始されので、彼らを「第1次世代」と呼称する。この第1世代に共通する特徴は、韓半島に生まれ(田川孝三、旗田魏など)、あるいは20年近く韓半島に居住した経験を持ちながらも(藤田亮策、末松保和、中村栄孝など)、戦後、韓半島をほとんど再訪することなく、研究を継続したことである。たとえ訪韓したとしても、短期間の観光旅行などであった。
彼らのもう一つの特徴は、確かに韓国語を自由に話せることはできなかったものの、その言語学的造詣は深かったことである。例えば、中村栄孝による海東諸国記研究を見るだけで、その実力は窺い知るはずである。
つまり、韓国学の戦後第1世代は韓半島に誕生したか、長期間滞在したために、韓国を肌で感じるタイプの研究者集団であった。田川孝三がよく口にした言葉であったが、彼らは日本統治以前の大韓帝国時代や朝鮮王朝時代を生活した韓国人や風景や家具や記憶に取り囲まれていたために、その時代の残映の中で研究に取り組んだと言って良いだろう。
なお、彼ら第1世代は誰一人として、自ら日本統治コロニーであったために、自覚的に「韓国学とは何か」などの問いに答える文を残していない。
(2-4)戦後第2世代は1970年代に出現する。したがって、韓国学の人材育成において、それまでの敗戦から1970年代までの間は「失われた20年」と言うべきである。歴史の必然性であったとはいえ、この空白の間に、人材が育たなかったために、韓国学の再スタートはそれだけ遅延した。韓国学を志望した理由はそれぞれであったが、彼らは第1世代に学び、日韓国交正常化交渉が締結された1965年前後に韓国に留学したことは、第1の特徴である。それぞれ戦後第1世代に属する高橋亨に学んだ韓国文学の大谷森繁・韓国史学の平木実、河野六郎を師と仰ぐ韓国語学の梅田博之・菅野裕臣・中村完・藤本幸夫ら、中村栄孝の弟子である日韓関係史学の長正統・長節子らである。なお、留学こそ1980年代になったが、末松保和の講筵に列なった韓国史の武田幸男も、その世代の一人である。
第2の特徴は、彼らが韓国に留学した時に、韓国語学の李崇寧・李基文など、韓国史学の한우근・김철준など、韓国文学の金東旭・鄭漢模など各界の著名な研究者が登場していたことであった。単に自由自在に韓国語を駆使する能力を持つだけではなく、現地で韓国の高い学問的水準に魅了され、それらを吸収し始めた時期でもある。いわば日韓のダブルスタンダードを知る最初の世代である。逆に言えば、この世代から「韓国学とは何か」を考え始めることで、韓国を客観的にとらえると共に、欧米の研究理論を積極的に導入して、旺盛な研究活動を展開した。
なお、この世代には、日本の大学で専攻した学問とは無縁に韓国文学に取り組んだ長璋吉(中国語)と三枝壽勝(宇宙物理学)がいる。この二人は学会活動などに関心を示すことなく、孤高を保った。
(2-5)第1世代と第2世代に学び、大学紛争によって生じた旧来の「知の枠組み」のしがらみから逃れるように、1980年前後に韓国留学をした研究者が第3世代である。田川孝三・武田幸男に学んだ吉田光男(韓国史)、末松保和・武田幸男に学んだ浜田耕策(韓国史)、河野六郎・梅田博之に学んだ門脇誠一(韓国語学)、阿部良雄・大谷森繁に学んだ成沢勝(韓国文学)、田川孝三・菅野裕臣に学んだ松原(日韓文化交流史)などである。
この世代に属する研究者の特徴は、大学に就職した1980年代が日本における韓国語教育の勃興期に当たったために、それぞれの専門とは別に韓国語教育にも従事しながら、韓国学の普及に努めたことであろう。そして大学院までは「もの作り」に等しい基礎研究のトレーニングを受けたものの、大学に就職すると、すぐにコンピュータリテラシーの洗礼を受けて、韓国学関連情報データのデジタル化にいち早く取り組むことになったことも、第2の特徴である。
第3の特徴は、それまでが1~2年の短期間であったのに対して、5年を超える長期韓国留学組が出現したことである。韓国文学の白川豊、西岡健治などである。
第4の特徴は、当時、日本を席巻した大学紛争の余波が各研究者に与えた影響は大きく、明治時代以来の「知の枠組み」が揺らぎ、そもそも東洋学と言えば中国研究であったのに満足しないで、韓半島を含めて中国の周辺地域・インド大陸への関心を向け始めたことである。
第5の特徴は、この第3世代の多くの研究者が「朝鮮半島植民地支配贖罪論」の洗礼を受けていることである。
このほかに京都大学出身である油谷幸利(韓国学)、水野直樹(韓国史)、
田中俊明(韓国史)、早稲田大学出身の李成市(韓国史)なども、第3世代に属することを付言しておきたい。
(2-6)第2世代と第3世代の中間に、文化人類学の伊藤亜人・嶋陸奥彦・朝倉敏夫ら、韓国教育史学の稲葉継雄、韓国政治学の小此木政夫、韓国社会学の服部民夫らがいる。韓国学における特別な師を持たない彼らこそ、日本における韓国学の振興を願い、各学問別の研究会を創立した中心メンバーである。その心情は、孤立無援・独立独歩であった自らを省みて、後学らに対して体系的な学問システムの下で教育が可能となり、同学・後輩に囲まれた環境を作り出したいと願ったからであろう。
(2-7)いずれにしても、第1世代から第3世代までに共通するのは、学部・大学院レベルまでも韓国学正規課程で修学することなく、それまでに習得した学問的disciplineを隠しながら、いずれも個別な関心と興味で、全く別な研究対象と手法が要求される韓国研究の道を歩み出したことである。換言すれば、その学問的スタートから自然と「領域横断型研究手法」(interdisciplinary)を採用していることである。
(2-8)学部4年間の正規課程を修了して、韓国学研究を開始した研究者が出現したのは、1980年代半ば過ぎである。九州大学文学部朝鮮史講座(1974年開設)で学んだ秋月望・六反田豊・桑野英治など、東京外国語大学朝鮮語学科(1977年開設)で学んだ丹羽泉・月脚達彦・小針進などである。彼らこそ、第4世代のトップランナーである。
(2-9)要するに、学問自体に地域性を帯びない文化人類学・国際政治を唯一例外として、日本における韓国学教育は、1985年を前後として大きな転換点を迎えたといえる(注4)。
(2-10)しかしながら、韓国語専攻を除外すれば、今なお九州大学文学部朝鮮史講座が学部レベルでは唯一の韓国朝鮮史教育の専門課程であり、また東京大学大学院人文社会系研究科韓国朝鮮文化研究専攻(2002年開設)が大学院レベルにおける唯一の韓国学教育組織である。
三
(3-1)韓国においても、2006年9月にはソウル大学校、延世大学校、高麗大学校などの人文系の学部長が共同で、「人文学的な精神や価値を軽んじる社会構造」への抗議声明を発表したという。本節では、日本における人文学の危機に関して論じたい。
(3-2)あえて論証もなく断定すれば、学部レベルのみならず大学院レベルでも、学生の教養は完全に欠落している。確かに各自が興味を抱く狭い分野に関する知識量は豊富である。たとえばアニメや漫画、「お笑い」に熱狂し、スポーツ・旅行・グルメ・ファッションなど趣味に関する情報に詳しい。問題は、古今東西の文学、音楽、美術はいうまでもなく、哲学、宗教、思想、歴史などの広い範囲で、当然に読むべきものを読んでおらず,あるべき知識がない。ましてや漢文を教えようとして,漢文の基礎知識,熟語を要求する前に,漢字そのものを知らない現状では、「教養主義の復権」と叫ぶことさえも遠慮されるほどである。
日本では、昭和10年代(1935年~1945年)に河合英治郎が「教養主義の復権」を唱え、自由主義者として、マルクス主義ともファシズムとも戦いながら、「個人の人格の完成を目標とする理想主義」の実現するために、文学・哲学のみならず自然科学の本までも列挙した。1970年代の大学生に至っても、Karl Marxの『経済学哲学草稿』が必読書とされ、またHerbert Marcuseやドイツ・フランクフルト学派の哲学書が愛読書であった。しかしながらそれらを説明するだけでも、現代の学生たちからはそれは思い出話であると反論されるにちがいない。
1980年代に至り、高度経済成長の中で「豊かさ」を実感した父母たちは、一部エリートの専有物であった大学に子供を進学させる経済的余裕を持つようになった。そして戦後のベビーブームに誕生した子供たちの進学率が高くなるにつれて、その受け皿として新設大学の増加、学部・学科の増設、入学定員の増加などの対策に迫られた結果、「大学の大衆化現象」が発生し、教養主義の終焉を迎えたことは周知の通りである。
ここで議論したいのは、河合英治郎式「教養主義の復権」ではなく、学問の独創性は「教養の厚み」から生まれ、すべての学問の基盤に人文学を置くべきだという啓蒙活動の再開である。人間に対する愛や尊厳を教えないままに理工系学問を修得した秀才たちが首謀者であったオーム真理教サリン事件の教訓は、今なお生かされていない。
(3-3)昨今の日韓のマスコミでは、ノーベル賞選定委員会が世界最高の研究評価認定機関であるかのように報道される。あるいは科学ジャーナル雑誌「Nature」への研究論文掲載さえも、新聞紙面を広く占めて紹介されるところを見ると、ジャーナル編集部は「学問の門番」の役割を担当するようになった。例えば、「新しいガン治療法の発見」などの新聞見出しによって、その研究の信憑性や優劣がジャーナル編集部によって判定され、それが世界に報道される。この社会的現象は、韓国では
「基礎科学の水準が国力であり競争力の時代だ。ノーベル賞受賞者を生むことはその国のブランド価値を高めるという点でも意味が大きい」(『中央日報』2008年10月8日号)
と理解されてもいる。
このノーベル賞受賞者数が世界の大学Rankingに反映されたり、あるいは政府による研究助成費の配分にも直接に影響を与えると知れば、各研究機関でノーベル賞待望論が生じるのも当然である。
深刻な問題は、日韓の大衆レベルに浸透し始めた「科学技術への優遇」の風潮であり、それと反対に、あたかも砂時計のように「人文学への冷遇」であり、無関心である。したがって、人文学の重要性を訴え続ける啓蒙活動の中で強調すべきは、「社会に役に立たない学問」がいかに文明や文化を発展させてきたかである。言い換えれば、短期間に「社会の役に立つ」研究結果を残せる理工系学問とは異なる社会的評価基準の採用であり、たとえ「社会に役に立たない学問」であるとしても人文学に対する社会的関心の喚起を継続することである。少なくとも人間がなぜ小説を好むのかを科学的に測定することは不可能であり、またたとえそれを数値化できる機械が発明されたとしても、小説や演劇、詩などを通して表出される文化的創造力や美的世界などは、理工系学問はいかなる解決策も与えない。現代的課題である家族の絆や子供をめぐる教育問題、少子高齢化などの社会的問題などにしても、これらは人文学の積極的関与なくして、解決の糸口を見つけることは困難であろう。
要するに、ここで強調したいのは、「AかBか」ではなく、「AもB」もという解決法の設定である。そして、一方的な科学技術偏重に対する警告を発し、他方では人文学への冷遇に対する注意報を発することである。
四
(4-1)本節では、日本における韓国学の現状と課題を、
1,研究・教育の細分化と閉鎖性の打破
2,現実的課題への関わりの希薄さ
の両面から考察する。
(4-2)2008年度に発行された学会誌『朝鮮学報』・『朝鮮史研究』などに収録された論文約60編を通覧すると、学問が進化するにつれ、歴史学・社会学など人文学を構成する各分野・領域の専門化・細分化が進んでいると実感する。しかしながら、たとえレフリー付きの審査制度によって合格した論文であったとしても、それは学会内の評価を得たに過ぎず、多くの論文は閉鎖体系化した中で議論を展開していると言っても過言ではない。特定の分野・領域、テーマに関する学問的分析を深く掘り下げる必要は認めつつも、次世代研究者ばかりではなく中堅の研究者たちの間でも、新たな学問領域を開拓する意欲や、社会が要請する諸課題に対応して新学問分野を創造する観点の創出を、ほとんど認め取ることはできない。
日本の韓国学者のみならず、とかく人文学研究者の学問スタイルは、現実社会の状態や問題に対するmonitoring.を回避して、現実社会から遊離・隔絶した中で研究活動を実施しがちであった。したがって、現在まで、私も含めて韓国学関係者の多くは日韓や世界が直面する緊急課題に対する研究者としての責任を忘れがちであったし、研究成果による世界への提言、問題解決のための視点、分析結果など研究情報の提供に消極的であった。その予想される反論は、「利潤と完全に無縁に研究を展開しなければ、学問的独立性が保持できない」であった。
今後は、発想を180度変えて、税金が投入された「科学研究費」(日本文部科学省主管)など公的研究助成金で研究展開に着手する韓国学研究者は、世界が直面する現実的課題の解決を志向する新学問の開拓に努めつつ、政策評価を含む政策分析型研究、あるいは直接的な政策提言型研究を推進するなど、学術研究と政策との連携を図り必要があろう。具体的には、「臓器移植と脳死」問題を巡る日韓の政策の相違などは、韓国学者が積極的に「公共知」を提供すべき最適な例である。
要するに、韓国学の中には「社会にすぐに役立たない基礎研究」が含まれているとしても、それはそれとして新しい文化育成のために尊重すべきである。その一方で社会が要請する喫緊の現実的課題の解決に、韓国学はその研究成果を「公共知」へと変換させて、積極的に社会へと還元させていくべきだと考えている。
五
(5-1)本節では、韓国学における20世紀型研究モデルから脱却して、21世紀型研究モデルへと「知の組み替え」作業促進の必要を述べる。
日本の韓国学が、
① 現代的諸問題の解決への貢献
② 東アジアを中心とした地域共通課題解決型研究へのチャレンジ
の2点に関して、世界のどこよりも先に取り組むとき、日本における韓国学が再び世界の最先端を行く研究拠点の位置を取り戻し、しかもたとえ日本語で書かれた論文であるとしても、その論文なくして研究は進展しない状況となるはずである。
(5-2)現代日本における韓国学の最高業績は、
藤本幸夫『日本現存朝鮮本研究 集部』京都大学学術出版会、2006年
であると指摘しても、誰からも異論を唱えることはあるまい。この高著は、著者の30数年の調査を踏まえた労作であり、これによって世界の朝鮮文献学的研究は格段に進歩した。この本の価値は文化の継承と発展において重要な役割を果たすことが確実視されることである。それが人文学のそもそもの性質である。
(5-3)他方、現代的史観からではなく、当時の朝鮮王朝社会の視点に立脚して吉田光男が分析する歴史的事実の解明、あるいはロシア言語学の研究成果を導入した菅野裕臣の韓国語文法研究も、それぞれ韓国の歴史学会、韓国語研究学会の研究水準を超えたレベルに到達している。再三繰り返して論じたように、これらの基礎研究の有用性は異論の余地なく、政府機関は今後共に積極的に推進する体制を整備すると共に、その基礎研究ゆえの「社会にすぐに役立たない基礎研究レベル」や社会的要請が少ないという理由で、研究助成金を削減するなどの愚を犯して欲しくない。
(5-4)さて、21世紀の諸問題は著しく複雑性を帯びつつある現在、いつまでも日本における韓国学も、20世紀型基礎学に安住しているわけに行かない。 今日、日本・韓国を含む国際社会は、世界的規模での人口問題、地球温暖化・黄砂・海流汚染など環境問題の噴出、コンピュータや人工授精など先端的テクノロジーの加速度的進展の負の側面、またリーマンショックに端を発する世界同時不況や中近東・アフリカ各地に頻発する民族対立、9/11テロリズムの国際化など、様々な問題に直面しているからである。
したがって、人文・社会科学の諸学問分野を含めた韓国学は、これら喫緊の現代的課題に、いかなる解答を提示できるかと言う点に、今後、日本における韓国学の存在意義さえも問われてくるだろう。いわば、韓国学における21世紀型応用研究宣言である。
(5-4)筆者が主張したいのは、「学問の越境・協働」作業であり、人文・社会科学と自然科学間の学際的ないし学融合的研究の推進である。その際、人文・社会科学の側からの積極的イニシアティブも求められているのであれば、韓国学はそのリーダーシップを取るべきだと提言したい。
当面次のような学際型、学融合型、協働型の研究の推進が期待される。
1, グローバル化時代における多様な価値観を持つ社会の共生を図るシステムに関する研究――世界のコリアンタウン研究を通した韓国人(朝鮮族も含む)共生システムモデルの提示、ディアスポラ研究
2, 過去から現在にわたる社会システムに学び、持続的可能な社会実現に向けた研究---国境問題、人間の安全保障など
3, 福岡・釜山間の地域連携をめぐる研究----「海峡有れど、国境無し」というEUをモデルとする「国境を越えた地域共同体」構想の検討
4, 韓国における「単一民族国家論から多民族共生国家論」への転換---ベトナム人を中心とする国際結婚による同化と葛藤等を巡る研究
5, 宗教とイデオロギー---韓国系宗教団体による布教と抵抗を巡る研究
6, 酸性雨・黄砂・海洋汚染などに代表される越境型環境汚染の研究調査---人文学的アプローチによる日中韓3国政府に対する提言など
7, ベトナム戦争への韓国軍の参戦---戦争の記憶と風化の調査研究
これ以外にも無数有ろうが、このようなクロスメディア型の研究の展開は、今後10年間で大きな研究成果が期待されるとともに,社会的要求の高い分野であり、個々の分野の研究成果をインテグレートする絶好の機会となるはずである。
六
(6-1)本節では、日本における韓国学の振興をねがって、次の2点を提言する。
・次世代韓国学研究者育成案
・東アジアデジタル図書館構想
もはや日本におけるアジア学は、圧倒的に中国学へシフトをしており、さらには東南アジア学、オセアニア学、北東アジア学などの台頭に伴い、韓国学は昔の栄光を取り戻せないだろう。たしかに論文数だけでは多いが、それは韓国人留学生や中国朝鮮族留学生などに支えられており、かならずしも日本人研究者によって支えられているわけではない。むしろ日本人研究者は確実に減少傾向にある。
(6-2)現在、九州大学韓国研究センターは、次の世界の11大学と連携して、次世代韓国学研究者ワークショップを毎年開催している。この試みは、韓国国際交流財団の協力を得て実施し来たが、開催地は第1回(2005)と第2回(2006)が九州大学、第3回(2007)がUniversity of British Colombia、第4回(2008)はAustralian National University、そして第5回(2009)はUniversity of Hawaiiであった。ちなみにUniversity of Hawaii大会の themeは、 “Korea Coping with Globalization.”であった。毎回のワークショップには、コンソーシアムを構成する12大学が中心となって公募した次世代研究者約30名が各自の研究発表を行い、それに対する討論を交わす。この目的は、国別の研究風土の違いを知り、さらには問題設定の違いを知り、さらには研究発想の違いを知らせることにある。韓国学における新分野の開拓や隣接諸学問融合を積極的に展開するのは、単なるゼネラリストではなく、特定の専門性を持ちつつも、自然科学を含めた他の専門分野も理解できる識見、能力や知的冒険心を併せ持つ次世代研究者であるという共通理解があるからだ。
これまでに実施した過去5回のワークショップの経験から判断して、参加者総数210名(約40大学、論文約180編)は、国家の壁や既存の学問の枠を超えた幅広い分野の発想や素養を身につけることができ、多くの専門家によるコメントを受けることで、広い視野と識見を有する人材の養成に有意義であった。
しかも海外でワークショップを開催することで、普段会えなかった世界の専門家との意見交換、研究ネットワーク拡大 各地に所蔵される研究データの収集や各地域・社会への参与観察という観点からも、その投資効率は高い。今後共に、このような世界規模の次世代研究者養成用ワークショップを開催すべきではないかと提案する。もはや人材養成もグローバル化の時代に対応すべきである。
(6-3)現在、Googleはデジタル化した書籍の全文検索サービス構想を推進している。そのデジタル化自体には異論はなく、興味深く、その実現による学問的恩恵は大きいと予測する。しかしながらその一方で英語によるアングロサクソン的な観点による大量の情報が世界に拡大するとなると、それは文化の多様性を堅持することが困難になる。Googleに対抗するために、EUは、2006年に、EU域内の国立図書館・公文書館や博物館の協力で、英語以外のヨーロッパ諸言語で書かれた書籍や文献をインターネットで公開する欧州デジタルライブラリ構想を提唱した。この合意に基づき、欧州デジタルライブラリは2008年までに書籍、映画、写真など200万点を、2010年までには約600万点の画像資料の公開を予定している。
そこで漢字文化圏に属する日中韓3国も、すでに欧米諸国に出遅れた感があるが、欧州デジタル図書館をベンチマーキングしながら、東アジアデジタル図書館構想を早期に提唱すべきであると思う。すでに韓国だけには、国立デジタル図書館が開設しているのだから、ぜひ韓国のイニシアティブに期待したい。
六
本発表のまとめに代えて、最後に、日韓共に「人文学の危機」が叫ばれているのであれば、その有効な対策として、人文学における日韓両国のPlatformの同一化を提案したい。結論から言えば、各種学会の国境の壁をなくして、日韓共同学会へと組織替えをすることである(注6)。たとえば、日韓には、世界最大の会員数を誇るShakespeareやGoethe 研究者集団が存在する。日本には、日本シェイクスピア協会・日本ゲーテ協会、韓国には한국 셰익스피어 학회" (The Shakespeare Association of Korea)、한 국 괴 테 학 회(Koreanische Goethe-Gesellschaft)などの学会組織がある。その会員たちの大多数は英語とドイツ語の先生方であり、日韓の共通言語に困らない。そうであれば従来韓国語と日本語で開催してきた両国の学会発表を合同開催し、学界に「競争原理」を持ち込まない限り、世界に発信するShakespeare研究やGoethe研究などが生み出されるはずはない。
その理由は、人文学研究者の多くは「大学という孤島」に閉じこもりがちな集団であり、近年、経済面や人材養成を中心に、グローバル化と地域連合形成の同時併行的な動きが顕著であることに無関心である。よく耳にする弁解に、「世の中と無縁に生きたいから、人文学を選択した」、と。しかしながら、グローバル化社会に突入して、もはや「山中の寺院」に隠棲しているわけに行かない。EUではボローニャ宣言により域内における教育制度や資格(学位)の調和が進めら、人材育成でもグローバル化の中での地域間競争、そしてEU全体が一つのVirtual University設立の動きさえみせている。
「知の世界大競争時代」にある中で、人文学自体もそのあり方を変化させない限り、人文学の危機は続くばかりではなく、むしろ人文学は衰退するだろう。
日本・韓国の両国において、少子高齢化が進展しており、それに伴う優秀な若手研究者の減少による人文学コミュニティの活力低下を懸念しないのであれば、それはあまりにも楽観的に過ぎる。韓国学も、その一つである。
(注1) このデータベースには、人文社会科学分野において、韓国・朝鮮に関わる研究を行っている、日本国内の大学・研究機関に所属する大学院博士課程以上の研究者に対して2001年と2004年に実施した調査票による調査結果が反映されている(ただし、収録研究者数は未公開)。
(注2) 箱石大「韓国・国史編纂委員会所蔵朝鮮総督府朝鮮史編修会関係史料 調査報告」平成13年度科学研究費補助金:COE形成基礎研究費「前近代日本史料の構造と情報資源化の研究」、2001年
(注3)1964年の海外観光渡航の自由化、1966年の観光渡航回数制限(年1回)の撤廃、1970年の数次旅券(5年間有効)の受給開始、さらには1978年の外貨の海外持ち出し枠の撤廃(1971年から3000ドル)により、海外旅行の大衆化が実現した。その旅行先として韓国は一番身近であり、価格も廉価であった。当時、中国旅行は一般化しておらず、ましてや中国留学は困難であった。
(注4)吉田光男「韓国史研究・教育の社会資本-大学・資本・ツール」『 アジア情報室通報』第4巻第1号、2006年3月参照
(注5)
1,Institute of Korean Culture, Korea University;
2,Center for Korean Studies, Graduate School of International Studies,
Seoul National University;
3,Korea Institute, Yonsei University;
4,Center for Korean Studies, University of California, Los Angeles;
5,Korea Institute, Harvard University;
6,Center for Korean Studies, University of Hawaii at Manoa;
7,Centre of Korean Studies, School of Oriental and African Studies, University of London(SOAS)
8, Center for Korean Studies, Peking University;
9,Center for Korean Studies, Fudan University;
10, Centre for Korean Research, University of British Colombia;
11,Center for Korean Studies, Australian National University
(注6)いうまでもなく、近代日本におけるアジア主義、日韓併合という失敗の歴史は、日本人の貴重な教訓である。
--- 人文学を中心に ---
松原孝俊(九州大学韓国研究センター教授)
発表要点
1,1945年以降の韓国学専門家は、1980年半ばを境にして、2種類(「韓国学コース非履修」型と「韓国学コース履修」型」に大別できる。前者の研究スタイルは、その出発時からInterdisciplinaryであるのに対して、後者のそれは単一のDisciplineにとどまりがちである。
2,1990年代に入り、学問の細分化に伴い、若手研究者が発表する研究論文の多くは狭い研究視野の中で対象を分析するので、問題意識が不鮮明になりがちとなり、学界に対してインパクトある結論を提示できず、またしばしばその気迫に欠けがちである。その理由として、物質的豊かさの中で韓国研究を開始したために、その内的必要性が不十分であると共に、各自の人文学的基礎が欠けたり、教養の厚みを持たないためであると推測される。
3,かって日本語で公表された論文は、各分野の最先端の研究であり、世界のスタンダードであった。しかし、今では、日本語で公表された研究論文の数は、世界第2位の生産量であるにもかかわらず、世界の韓国学者の必読文献ではなくなりつつある。そうした日本における韓国学の現状と課題は、「1,研究・教育の細分化と閉鎖性、2,社会が直面する現実的課題への関わりの希薄さ」にあると指摘した。
4,書誌研究や考古学的編年など日本人が得意とする「職人型研究スタイル」は、たとえ「社会にすぐに役に立たない」基礎研究であるとしても、今後共に進展させるべきである。それとともに、日本の韓国学が、
①現代的諸問題の解決への貢献
②東アジアを中心とした地域共通課題解決型研究へのチャレンジ
の2点に関して、世界のどこよりも先に21世紀型研究課題に着手し、新しい研究モデルを提示できるならば、日本は再び世界の最先端を行く韓国学研究拠点の位置を取り戻すにちがいない。
5,世界の韓国研究のボトムアップのためにも、
①韓国学中央研究院は東アジアデジタル図書館構想を積極的に推進し、Googleによる英語版デジタル図書館、EUによるヨーロッパ言語版デジタル図書館と雁行形態をなすようにすべきである。
②世界から次世代研究者を集めたワークショップを世界各地で開催して、中国研究や日本研究と肩を並べるように、韓国学は優秀な人材確保に努力すること。
6,最後に、日韓の人文学復権のためには、人文学界に「競争原理」を導入しては、どうであろうか。究極的な目的は、それぞれの学界に「欧米発研究モデル」ではなく、「アジア発研究モデル」を提出すべきだと願うからに他ならない。そのために、日本と韓国の人文学関係の学会の国境の壁をなくして、日韓人文学研究Platformの同一化を提案したい。
はじめに
本発表の目的は、かって日本は「韓国学大国」であった。今でも、日本語で公表された研究論文の数は、韓国学において世界第2位の論文生産量を誇るが、現状では世界の韓国学者の必読文献ではなくなりつつあるばかりではなく、その論文の発進力もなくなってきた。その原因を探ると共に、21世紀型韓国学のあり方を模索することで、日本における韓国学が世界の最先端の研究をリードするには、どのように対策を取るべきかを考察することにある。
一
(1-1)本節では、主に1945年以降の日本における韓国学の現況を紹介することとし、それ以前に関しては、必要に応じて言及するにとどめたい。
(1-2)日本において韓国学研究者の数、各自の研究分野・研究活動などに関すデータベースは、日韓文化交流基金作成・管理する『 日本における韓国・朝鮮研究 研究者ディレクトリデータベース』(約800名収録、http://www.jkcf.or.jp/db/)が便利である(注1)。
(1-3)次に、韓半島に対する研究視点・関心・研究目的などの異なりを反映して、2009年段階で、
1, 朝鮮学会--1950年設立、会員数約600名、韓国学全般
①http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html
②会報『朝鮮学報』第1集(1951年)~第210集(2009年)
2, 朝鮮史研究会—1959年設立、会員数約500名、韓国史研究
①http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/chosenshi/katsudo
②会報『朝鮮史研究』第1集(1965年)~第45集(2007年)
3, 朝鮮語研究会-- 1983年設立、会員数不明、韓国語研究・韓国語教授法研究
①http://www.justmystage.com/home/kenkyukai/
②会報『朝鮮語研究』第1号(2002年)~第3号(2006年)
4, 韓国・朝鮮文化研究会—1999年設立、会員数不明、韓国史・文化人類学・社会学など
①http://www007.upp.so-net.ne.jp/askc/index.html
②会報『韓国・朝鮮文化研究』第1号(2000年)~第8号(2008年)
5, 現代韓国・朝鮮研究会—2000年設立、会員数約200名、政治学・経済学
①http://www.meijigakuin.ac.jp/~ackj/front/
②会報『現代韓国・朝鮮研究』第1号(2002年)~第8号(2008年)
6, 朝鮮語教育研究会—2005年設立、会員数不明、韓国・朝鮮語教育
① http://paranse.la.coocan.jp/pukiwiki/index.php?%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
②会報『朝鮮語教育-理論と実践-』第1号(2006年)~第4号(2009年)
の研究者グループが形成され、各学会の研究誌も刊行されている。
(1-4)日本における韓国学の研究データベースに関しては、すでにいくつかの学問分野別に公表されている。
韓国史学---① 『戦後日本における朝鮮史文献目録』(緑蔭書房、1994年)
データ数:1945年から1998年までに発行された単行本440
0件、論文13,561件の合計17,961件
②戦後日本における朝鮮史文献目録(データベース版)
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sengo/
データ件数: 29,963件(2009年9月1日現在)
韓国語--国立国語研究所日本語教育センター・第四研究室(1996)『朝鮮語研究(朝鮮語母語話者に対する日本語教育)文献目録――国内文献及び欧米 文献――(1945~1993)』
文化人類学&民俗学--『文化人類学』・『民族學研究』データベース
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jse/
など、韓国学に関する研究Toolは整備されつつある。
(1-5)さらに言えば、敗戦後50年を契機にして、各研究分野において研究史的回顧が多数公表されている。注目すべき回顧は下記の通りである。
韓国史—三ツ井崇「日本における韓国学研究」2007年韓国学世界大会(現代日本学会分科 Session1 )、2007年
韓国近代文学--三枝壽勝『韓国文学を味わう』(報告書)、国際交流基金アジアセンター、1997年
韓国・朝鮮語教育—中村知史「日本における韓国朝鮮語教育の現状と課題」『人文社会科学論叢』第17号、 pp.49〜59、 2008年
社会科学全般分野--木宮 正史「日本における韓国朝鮮研究をめぐって」、第3回日韓人文社会科学学術会議(2006年8月30日、麗澤大学)
政治・経済--倉田秀也「日本における韓国研究:政治・国. 際関係」、『現代韓国朝鮮研究』創刊号、2001年
二
(2-1)本節では、1945年以降の研究者に関する世代論を論じつつ、日本における韓国学の特質の一端を論じたい。
(2-2)周知の通り、1945年以前の韓国学の中心地は、京城(今のソウル)であった。そこでは、東京帝国大学や京都帝国大学など帝国大学出身者が京城帝国大学や朝鮮史編集会などに勤務しつつ、活躍した時代である。前間恭作・鮎貝房之進・小倉進平・藤田亮策・末松保和・ 藤塚鄰・田川孝三・中村栄孝・今西竜・稲葉君山・三木栄・奥平武彦・四方博・花村美樹・河野六郎らの人文社会学者である。彼らに共通しているのは、「朝鮮本」の収集であった。1910年から1930年代の京城の古書籍商といえば、翰南書林白斗鏞・書買朴駿和・書買朴鳳秀らが著名であるが、彼らから購入した朝鮮本の多くは、敗戦後の混乱の中で散逸した。幸いにも、それ以前に韓半島から搬出された、
前間恭作文庫—東洋文庫所蔵
浅見倫太郎文庫—California大学Berkeley校東アジア図書館
小倉進平文庫—東京大学文学部図書室所蔵
今西竜文庫--天理大学所蔵
三木栄文庫—武田科学振興財団「杏雨書屋」所蔵
などは現存している。これらを一瞥するだけでも、彼らの卓越した研究がいかに強固な基礎的資料の上に作り出されていたかを知るだろう。
しかも彼らの研究Toolは、例えば朝鮮史編集会編「朝鮮史」を編纂するに当たり、彼らが活用したのは、
「朝鮮全道および日本・満洲などに採訪して借用した資料4950点、そのうち重要なものを撰んで作った複本1623冊、本文・史料より成る稿本3500冊である」(『国史大辞典』吉川弘文堂、「朝鮮史編集会」の項目、田川孝三執筆)
という。編纂者たちは20数回の資料探訪を実施して、そのたびに朝鮮各道・日本・中国に及ぶ史料採訪復命書を提出している(注2)。いわば手探りの状態で採訪に出発して、多数の関係資料の発見に成功しながら、研究に着手している。
なお彼らの特色は、旧制高等学校・帝国大学を卒業したエリートたちであっただけに、その漢文読解の実力は卓越していた。生まれが江戸時代に近いほど、その漢文読解力は優秀であった。例えば、田川孝三(1909年生)の談によると、田川より一回り上の藤田亮策(1892年生)が、藤田よりも江戸時代生まれの鮎貝房之進(1864年生)が漢文運用能力に卓越し、鮎貝は漢詩漢文を自由自在に駆使していたという。
しかしながら彼らの欠点は、朝鮮語を解さなかったし、解する必要がなかったことである。
(2-3)敗戦後、リュックサック1つで日本に引き揚げてきた韓国学研究者たちは、まず自らの書斎の再建に取り組んだ。韓国語の大家である河野六郎でさえも、敗戦直後には、大学で韓国語ではなく各種ヨーロッパ言語を教えながら、糊口をしのいだという。日本の大学において韓国学関係研究施設は皆無であったので、他の研究者も同様であった。唯一の例外が、1950年以降、東京都立大学で朝鮮史を講義した旗田巍であった。
主に歴史と言語、宗教など人文学分野を中心として韓半島や満州から引き上げてきた研究者によって戦後の韓国研究が開始されので、彼らを「第1次世代」と呼称する。この第1世代に共通する特徴は、韓半島に生まれ(田川孝三、旗田魏など)、あるいは20年近く韓半島に居住した経験を持ちながらも(藤田亮策、末松保和、中村栄孝など)、戦後、韓半島をほとんど再訪することなく、研究を継続したことである。たとえ訪韓したとしても、短期間の観光旅行などであった。
彼らのもう一つの特徴は、確かに韓国語を自由に話せることはできなかったものの、その言語学的造詣は深かったことである。例えば、中村栄孝による海東諸国記研究を見るだけで、その実力は窺い知るはずである。
つまり、韓国学の戦後第1世代は韓半島に誕生したか、長期間滞在したために、韓国を肌で感じるタイプの研究者集団であった。田川孝三がよく口にした言葉であったが、彼らは日本統治以前の大韓帝国時代や朝鮮王朝時代を生活した韓国人や風景や家具や記憶に取り囲まれていたために、その時代の残映の中で研究に取り組んだと言って良いだろう。
なお、彼ら第1世代は誰一人として、自ら日本統治コロニーであったために、自覚的に「韓国学とは何か」などの問いに答える文を残していない。
(2-4)戦後第2世代は1970年代に出現する。したがって、韓国学の人材育成において、それまでの敗戦から1970年代までの間は「失われた20年」と言うべきである。歴史の必然性であったとはいえ、この空白の間に、人材が育たなかったために、韓国学の再スタートはそれだけ遅延した。韓国学を志望した理由はそれぞれであったが、彼らは第1世代に学び、日韓国交正常化交渉が締結された1965年前後に韓国に留学したことは、第1の特徴である。それぞれ戦後第1世代に属する高橋亨に学んだ韓国文学の大谷森繁・韓国史学の平木実、河野六郎を師と仰ぐ韓国語学の梅田博之・菅野裕臣・中村完・藤本幸夫ら、中村栄孝の弟子である日韓関係史学の長正統・長節子らである。なお、留学こそ1980年代になったが、末松保和の講筵に列なった韓国史の武田幸男も、その世代の一人である。
第2の特徴は、彼らが韓国に留学した時に、韓国語学の李崇寧・李基文など、韓国史学の한우근・김철준など、韓国文学の金東旭・鄭漢模など各界の著名な研究者が登場していたことであった。単に自由自在に韓国語を駆使する能力を持つだけではなく、現地で韓国の高い学問的水準に魅了され、それらを吸収し始めた時期でもある。いわば日韓のダブルスタンダードを知る最初の世代である。逆に言えば、この世代から「韓国学とは何か」を考え始めることで、韓国を客観的にとらえると共に、欧米の研究理論を積極的に導入して、旺盛な研究活動を展開した。
なお、この世代には、日本の大学で専攻した学問とは無縁に韓国文学に取り組んだ長璋吉(中国語)と三枝壽勝(宇宙物理学)がいる。この二人は学会活動などに関心を示すことなく、孤高を保った。
(2-5)第1世代と第2世代に学び、大学紛争によって生じた旧来の「知の枠組み」のしがらみから逃れるように、1980年前後に韓国留学をした研究者が第3世代である。田川孝三・武田幸男に学んだ吉田光男(韓国史)、末松保和・武田幸男に学んだ浜田耕策(韓国史)、河野六郎・梅田博之に学んだ門脇誠一(韓国語学)、阿部良雄・大谷森繁に学んだ成沢勝(韓国文学)、田川孝三・菅野裕臣に学んだ松原(日韓文化交流史)などである。
この世代に属する研究者の特徴は、大学に就職した1980年代が日本における韓国語教育の勃興期に当たったために、それぞれの専門とは別に韓国語教育にも従事しながら、韓国学の普及に努めたことであろう。そして大学院までは「もの作り」に等しい基礎研究のトレーニングを受けたものの、大学に就職すると、すぐにコンピュータリテラシーの洗礼を受けて、韓国学関連情報データのデジタル化にいち早く取り組むことになったことも、第2の特徴である。
第3の特徴は、それまでが1~2年の短期間であったのに対して、5年を超える長期韓国留学組が出現したことである。韓国文学の白川豊、西岡健治などである。
第4の特徴は、当時、日本を席巻した大学紛争の余波が各研究者に与えた影響は大きく、明治時代以来の「知の枠組み」が揺らぎ、そもそも東洋学と言えば中国研究であったのに満足しないで、韓半島を含めて中国の周辺地域・インド大陸への関心を向け始めたことである。
第5の特徴は、この第3世代の多くの研究者が「朝鮮半島植民地支配贖罪論」の洗礼を受けていることである。
このほかに京都大学出身である油谷幸利(韓国学)、水野直樹(韓国史)、
田中俊明(韓国史)、早稲田大学出身の李成市(韓国史)なども、第3世代に属することを付言しておきたい。
(2-6)第2世代と第3世代の中間に、文化人類学の伊藤亜人・嶋陸奥彦・朝倉敏夫ら、韓国教育史学の稲葉継雄、韓国政治学の小此木政夫、韓国社会学の服部民夫らがいる。韓国学における特別な師を持たない彼らこそ、日本における韓国学の振興を願い、各学問別の研究会を創立した中心メンバーである。その心情は、孤立無援・独立独歩であった自らを省みて、後学らに対して体系的な学問システムの下で教育が可能となり、同学・後輩に囲まれた環境を作り出したいと願ったからであろう。
(2-7)いずれにしても、第1世代から第3世代までに共通するのは、学部・大学院レベルまでも韓国学正規課程で修学することなく、それまでに習得した学問的disciplineを隠しながら、いずれも個別な関心と興味で、全く別な研究対象と手法が要求される韓国研究の道を歩み出したことである。換言すれば、その学問的スタートから自然と「領域横断型研究手法」(interdisciplinary)を採用していることである。
(2-8)学部4年間の正規課程を修了して、韓国学研究を開始した研究者が出現したのは、1980年代半ば過ぎである。九州大学文学部朝鮮史講座(1974年開設)で学んだ秋月望・六反田豊・桑野英治など、東京外国語大学朝鮮語学科(1977年開設)で学んだ丹羽泉・月脚達彦・小針進などである。彼らこそ、第4世代のトップランナーである。
(2-9)要するに、学問自体に地域性を帯びない文化人類学・国際政治を唯一例外として、日本における韓国学教育は、1985年を前後として大きな転換点を迎えたといえる(注4)。
(2-10)しかしながら、韓国語専攻を除外すれば、今なお九州大学文学部朝鮮史講座が学部レベルでは唯一の韓国朝鮮史教育の専門課程であり、また東京大学大学院人文社会系研究科韓国朝鮮文化研究専攻(2002年開設)が大学院レベルにおける唯一の韓国学教育組織である。
三
(3-1)韓国においても、2006年9月にはソウル大学校、延世大学校、高麗大学校などの人文系の学部長が共同で、「人文学的な精神や価値を軽んじる社会構造」への抗議声明を発表したという。本節では、日本における人文学の危機に関して論じたい。
(3-2)あえて論証もなく断定すれば、学部レベルのみならず大学院レベルでも、学生の教養は完全に欠落している。確かに各自が興味を抱く狭い分野に関する知識量は豊富である。たとえばアニメや漫画、「お笑い」に熱狂し、スポーツ・旅行・グルメ・ファッションなど趣味に関する情報に詳しい。問題は、古今東西の文学、音楽、美術はいうまでもなく、哲学、宗教、思想、歴史などの広い範囲で、当然に読むべきものを読んでおらず,あるべき知識がない。ましてや漢文を教えようとして,漢文の基礎知識,熟語を要求する前に,漢字そのものを知らない現状では、「教養主義の復権」と叫ぶことさえも遠慮されるほどである。
日本では、昭和10年代(1935年~1945年)に河合英治郎が「教養主義の復権」を唱え、自由主義者として、マルクス主義ともファシズムとも戦いながら、「個人の人格の完成を目標とする理想主義」の実現するために、文学・哲学のみならず自然科学の本までも列挙した。1970年代の大学生に至っても、Karl Marxの『経済学哲学草稿』が必読書とされ、またHerbert Marcuseやドイツ・フランクフルト学派の哲学書が愛読書であった。しかしながらそれらを説明するだけでも、現代の学生たちからはそれは思い出話であると反論されるにちがいない。
1980年代に至り、高度経済成長の中で「豊かさ」を実感した父母たちは、一部エリートの専有物であった大学に子供を進学させる経済的余裕を持つようになった。そして戦後のベビーブームに誕生した子供たちの進学率が高くなるにつれて、その受け皿として新設大学の増加、学部・学科の増設、入学定員の増加などの対策に迫られた結果、「大学の大衆化現象」が発生し、教養主義の終焉を迎えたことは周知の通りである。
ここで議論したいのは、河合英治郎式「教養主義の復権」ではなく、学問の独創性は「教養の厚み」から生まれ、すべての学問の基盤に人文学を置くべきだという啓蒙活動の再開である。人間に対する愛や尊厳を教えないままに理工系学問を修得した秀才たちが首謀者であったオーム真理教サリン事件の教訓は、今なお生かされていない。
(3-3)昨今の日韓のマスコミでは、ノーベル賞選定委員会が世界最高の研究評価認定機関であるかのように報道される。あるいは科学ジャーナル雑誌「Nature」への研究論文掲載さえも、新聞紙面を広く占めて紹介されるところを見ると、ジャーナル編集部は「学問の門番」の役割を担当するようになった。例えば、「新しいガン治療法の発見」などの新聞見出しによって、その研究の信憑性や優劣がジャーナル編集部によって判定され、それが世界に報道される。この社会的現象は、韓国では
「基礎科学の水準が国力であり競争力の時代だ。ノーベル賞受賞者を生むことはその国のブランド価値を高めるという点でも意味が大きい」(『中央日報』2008年10月8日号)
と理解されてもいる。
このノーベル賞受賞者数が世界の大学Rankingに反映されたり、あるいは政府による研究助成費の配分にも直接に影響を与えると知れば、各研究機関でノーベル賞待望論が生じるのも当然である。
深刻な問題は、日韓の大衆レベルに浸透し始めた「科学技術への優遇」の風潮であり、それと反対に、あたかも砂時計のように「人文学への冷遇」であり、無関心である。したがって、人文学の重要性を訴え続ける啓蒙活動の中で強調すべきは、「社会に役に立たない学問」がいかに文明や文化を発展させてきたかである。言い換えれば、短期間に「社会の役に立つ」研究結果を残せる理工系学問とは異なる社会的評価基準の採用であり、たとえ「社会に役に立たない学問」であるとしても人文学に対する社会的関心の喚起を継続することである。少なくとも人間がなぜ小説を好むのかを科学的に測定することは不可能であり、またたとえそれを数値化できる機械が発明されたとしても、小説や演劇、詩などを通して表出される文化的創造力や美的世界などは、理工系学問はいかなる解決策も与えない。現代的課題である家族の絆や子供をめぐる教育問題、少子高齢化などの社会的問題などにしても、これらは人文学の積極的関与なくして、解決の糸口を見つけることは困難であろう。
要するに、ここで強調したいのは、「AかBか」ではなく、「AもB」もという解決法の設定である。そして、一方的な科学技術偏重に対する警告を発し、他方では人文学への冷遇に対する注意報を発することである。
四
(4-1)本節では、日本における韓国学の現状と課題を、
1,研究・教育の細分化と閉鎖性の打破
2,現実的課題への関わりの希薄さ
の両面から考察する。
(4-2)2008年度に発行された学会誌『朝鮮学報』・『朝鮮史研究』などに収録された論文約60編を通覧すると、学問が進化するにつれ、歴史学・社会学など人文学を構成する各分野・領域の専門化・細分化が進んでいると実感する。しかしながら、たとえレフリー付きの審査制度によって合格した論文であったとしても、それは学会内の評価を得たに過ぎず、多くの論文は閉鎖体系化した中で議論を展開していると言っても過言ではない。特定の分野・領域、テーマに関する学問的分析を深く掘り下げる必要は認めつつも、次世代研究者ばかりではなく中堅の研究者たちの間でも、新たな学問領域を開拓する意欲や、社会が要請する諸課題に対応して新学問分野を創造する観点の創出を、ほとんど認め取ることはできない。
日本の韓国学者のみならず、とかく人文学研究者の学問スタイルは、現実社会の状態や問題に対するmonitoring.を回避して、現実社会から遊離・隔絶した中で研究活動を実施しがちであった。したがって、現在まで、私も含めて韓国学関係者の多くは日韓や世界が直面する緊急課題に対する研究者としての責任を忘れがちであったし、研究成果による世界への提言、問題解決のための視点、分析結果など研究情報の提供に消極的であった。その予想される反論は、「利潤と完全に無縁に研究を展開しなければ、学問的独立性が保持できない」であった。
今後は、発想を180度変えて、税金が投入された「科学研究費」(日本文部科学省主管)など公的研究助成金で研究展開に着手する韓国学研究者は、世界が直面する現実的課題の解決を志向する新学問の開拓に努めつつ、政策評価を含む政策分析型研究、あるいは直接的な政策提言型研究を推進するなど、学術研究と政策との連携を図り必要があろう。具体的には、「臓器移植と脳死」問題を巡る日韓の政策の相違などは、韓国学者が積極的に「公共知」を提供すべき最適な例である。
要するに、韓国学の中には「社会にすぐに役立たない基礎研究」が含まれているとしても、それはそれとして新しい文化育成のために尊重すべきである。その一方で社会が要請する喫緊の現実的課題の解決に、韓国学はその研究成果を「公共知」へと変換させて、積極的に社会へと還元させていくべきだと考えている。
五
(5-1)本節では、韓国学における20世紀型研究モデルから脱却して、21世紀型研究モデルへと「知の組み替え」作業促進の必要を述べる。
日本の韓国学が、
① 現代的諸問題の解決への貢献
② 東アジアを中心とした地域共通課題解決型研究へのチャレンジ
の2点に関して、世界のどこよりも先に取り組むとき、日本における韓国学が再び世界の最先端を行く研究拠点の位置を取り戻し、しかもたとえ日本語で書かれた論文であるとしても、その論文なくして研究は進展しない状況となるはずである。
(5-2)現代日本における韓国学の最高業績は、
藤本幸夫『日本現存朝鮮本研究 集部』京都大学学術出版会、2006年
であると指摘しても、誰からも異論を唱えることはあるまい。この高著は、著者の30数年の調査を踏まえた労作であり、これによって世界の朝鮮文献学的研究は格段に進歩した。この本の価値は文化の継承と発展において重要な役割を果たすことが確実視されることである。それが人文学のそもそもの性質である。
(5-3)他方、現代的史観からではなく、当時の朝鮮王朝社会の視点に立脚して吉田光男が分析する歴史的事実の解明、あるいはロシア言語学の研究成果を導入した菅野裕臣の韓国語文法研究も、それぞれ韓国の歴史学会、韓国語研究学会の研究水準を超えたレベルに到達している。再三繰り返して論じたように、これらの基礎研究の有用性は異論の余地なく、政府機関は今後共に積極的に推進する体制を整備すると共に、その基礎研究ゆえの「社会にすぐに役立たない基礎研究レベル」や社会的要請が少ないという理由で、研究助成金を削減するなどの愚を犯して欲しくない。
(5-4)さて、21世紀の諸問題は著しく複雑性を帯びつつある現在、いつまでも日本における韓国学も、20世紀型基礎学に安住しているわけに行かない。 今日、日本・韓国を含む国際社会は、世界的規模での人口問題、地球温暖化・黄砂・海流汚染など環境問題の噴出、コンピュータや人工授精など先端的テクノロジーの加速度的進展の負の側面、またリーマンショックに端を発する世界同時不況や中近東・アフリカ各地に頻発する民族対立、9/11テロリズムの国際化など、様々な問題に直面しているからである。
したがって、人文・社会科学の諸学問分野を含めた韓国学は、これら喫緊の現代的課題に、いかなる解答を提示できるかと言う点に、今後、日本における韓国学の存在意義さえも問われてくるだろう。いわば、韓国学における21世紀型応用研究宣言である。
(5-4)筆者が主張したいのは、「学問の越境・協働」作業であり、人文・社会科学と自然科学間の学際的ないし学融合的研究の推進である。その際、人文・社会科学の側からの積極的イニシアティブも求められているのであれば、韓国学はそのリーダーシップを取るべきだと提言したい。
当面次のような学際型、学融合型、協働型の研究の推進が期待される。
1, グローバル化時代における多様な価値観を持つ社会の共生を図るシステムに関する研究――世界のコリアンタウン研究を通した韓国人(朝鮮族も含む)共生システムモデルの提示、ディアスポラ研究
2, 過去から現在にわたる社会システムに学び、持続的可能な社会実現に向けた研究---国境問題、人間の安全保障など
3, 福岡・釜山間の地域連携をめぐる研究----「海峡有れど、国境無し」というEUをモデルとする「国境を越えた地域共同体」構想の検討
4, 韓国における「単一民族国家論から多民族共生国家論」への転換---ベトナム人を中心とする国際結婚による同化と葛藤等を巡る研究
5, 宗教とイデオロギー---韓国系宗教団体による布教と抵抗を巡る研究
6, 酸性雨・黄砂・海洋汚染などに代表される越境型環境汚染の研究調査---人文学的アプローチによる日中韓3国政府に対する提言など
7, ベトナム戦争への韓国軍の参戦---戦争の記憶と風化の調査研究
これ以外にも無数有ろうが、このようなクロスメディア型の研究の展開は、今後10年間で大きな研究成果が期待されるとともに,社会的要求の高い分野であり、個々の分野の研究成果をインテグレートする絶好の機会となるはずである。
六
(6-1)本節では、日本における韓国学の振興をねがって、次の2点を提言する。
・次世代韓国学研究者育成案
・東アジアデジタル図書館構想
もはや日本におけるアジア学は、圧倒的に中国学へシフトをしており、さらには東南アジア学、オセアニア学、北東アジア学などの台頭に伴い、韓国学は昔の栄光を取り戻せないだろう。たしかに論文数だけでは多いが、それは韓国人留学生や中国朝鮮族留学生などに支えられており、かならずしも日本人研究者によって支えられているわけではない。むしろ日本人研究者は確実に減少傾向にある。
(6-2)現在、九州大学韓国研究センターは、次の世界の11大学と連携して、次世代韓国学研究者ワークショップを毎年開催している。この試みは、韓国国際交流財団の協力を得て実施し来たが、開催地は第1回(2005)と第2回(2006)が九州大学、第3回(2007)がUniversity of British Colombia、第4回(2008)はAustralian National University、そして第5回(2009)はUniversity of Hawaiiであった。ちなみにUniversity of Hawaii大会の themeは、 “Korea Coping with Globalization.”であった。毎回のワークショップには、コンソーシアムを構成する12大学が中心となって公募した次世代研究者約30名が各自の研究発表を行い、それに対する討論を交わす。この目的は、国別の研究風土の違いを知り、さらには問題設定の違いを知り、さらには研究発想の違いを知らせることにある。韓国学における新分野の開拓や隣接諸学問融合を積極的に展開するのは、単なるゼネラリストではなく、特定の専門性を持ちつつも、自然科学を含めた他の専門分野も理解できる識見、能力や知的冒険心を併せ持つ次世代研究者であるという共通理解があるからだ。
これまでに実施した過去5回のワークショップの経験から判断して、参加者総数210名(約40大学、論文約180編)は、国家の壁や既存の学問の枠を超えた幅広い分野の発想や素養を身につけることができ、多くの専門家によるコメントを受けることで、広い視野と識見を有する人材の養成に有意義であった。
しかも海外でワークショップを開催することで、普段会えなかった世界の専門家との意見交換、研究ネットワーク拡大 各地に所蔵される研究データの収集や各地域・社会への参与観察という観点からも、その投資効率は高い。今後共に、このような世界規模の次世代研究者養成用ワークショップを開催すべきではないかと提案する。もはや人材養成もグローバル化の時代に対応すべきである。
(6-3)現在、Googleはデジタル化した書籍の全文検索サービス構想を推進している。そのデジタル化自体には異論はなく、興味深く、その実現による学問的恩恵は大きいと予測する。しかしながらその一方で英語によるアングロサクソン的な観点による大量の情報が世界に拡大するとなると、それは文化の多様性を堅持することが困難になる。Googleに対抗するために、EUは、2006年に、EU域内の国立図書館・公文書館や博物館の協力で、英語以外のヨーロッパ諸言語で書かれた書籍や文献をインターネットで公開する欧州デジタルライブラリ構想を提唱した。この合意に基づき、欧州デジタルライブラリは2008年までに書籍、映画、写真など200万点を、2010年までには約600万点の画像資料の公開を予定している。
そこで漢字文化圏に属する日中韓3国も、すでに欧米諸国に出遅れた感があるが、欧州デジタル図書館をベンチマーキングしながら、東アジアデジタル図書館構想を早期に提唱すべきであると思う。すでに韓国だけには、国立デジタル図書館が開設しているのだから、ぜひ韓国のイニシアティブに期待したい。
六
本発表のまとめに代えて、最後に、日韓共に「人文学の危機」が叫ばれているのであれば、その有効な対策として、人文学における日韓両国のPlatformの同一化を提案したい。結論から言えば、各種学会の国境の壁をなくして、日韓共同学会へと組織替えをすることである(注6)。たとえば、日韓には、世界最大の会員数を誇るShakespeareやGoethe 研究者集団が存在する。日本には、日本シェイクスピア協会・日本ゲーテ協会、韓国には한국 셰익스피어 학회" (The Shakespeare Association of Korea)、한 국 괴 테 학 회(Koreanische Goethe-Gesellschaft)などの学会組織がある。その会員たちの大多数は英語とドイツ語の先生方であり、日韓の共通言語に困らない。そうであれば従来韓国語と日本語で開催してきた両国の学会発表を合同開催し、学界に「競争原理」を持ち込まない限り、世界に発信するShakespeare研究やGoethe研究などが生み出されるはずはない。
その理由は、人文学研究者の多くは「大学という孤島」に閉じこもりがちな集団であり、近年、経済面や人材養成を中心に、グローバル化と地域連合形成の同時併行的な動きが顕著であることに無関心である。よく耳にする弁解に、「世の中と無縁に生きたいから、人文学を選択した」、と。しかしながら、グローバル化社会に突入して、もはや「山中の寺院」に隠棲しているわけに行かない。EUではボローニャ宣言により域内における教育制度や資格(学位)の調和が進めら、人材育成でもグローバル化の中での地域間競争、そしてEU全体が一つのVirtual University設立の動きさえみせている。
「知の世界大競争時代」にある中で、人文学自体もそのあり方を変化させない限り、人文学の危機は続くばかりではなく、むしろ人文学は衰退するだろう。
日本・韓国の両国において、少子高齢化が進展しており、それに伴う優秀な若手研究者の減少による人文学コミュニティの活力低下を懸念しないのであれば、それはあまりにも楽観的に過ぎる。韓国学も、その一つである。
(注1) このデータベースには、人文社会科学分野において、韓国・朝鮮に関わる研究を行っている、日本国内の大学・研究機関に所属する大学院博士課程以上の研究者に対して2001年と2004年に実施した調査票による調査結果が反映されている(ただし、収録研究者数は未公開)。
(注2) 箱石大「韓国・国史編纂委員会所蔵朝鮮総督府朝鮮史編修会関係史料 調査報告」平成13年度科学研究費補助金:COE形成基礎研究費「前近代日本史料の構造と情報資源化の研究」、2001年
(注3)1964年の海外観光渡航の自由化、1966年の観光渡航回数制限(年1回)の撤廃、1970年の数次旅券(5年間有効)の受給開始、さらには1978年の外貨の海外持ち出し枠の撤廃(1971年から3000ドル)により、海外旅行の大衆化が実現した。その旅行先として韓国は一番身近であり、価格も廉価であった。当時、中国旅行は一般化しておらず、ましてや中国留学は困難であった。
(注4)吉田光男「韓国史研究・教育の社会資本-大学・資本・ツール」『 アジア情報室通報』第4巻第1号、2006年3月参照
(注5)
1,Institute of Korean Culture, Korea University;
2,Center for Korean Studies, Graduate School of International Studies,
Seoul National University;
3,Korea Institute, Yonsei University;
4,Center for Korean Studies, University of California, Los Angeles;
5,Korea Institute, Harvard University;
6,Center for Korean Studies, University of Hawaii at Manoa;
7,Centre of Korean Studies, School of Oriental and African Studies, University of London(SOAS)
8, Center for Korean Studies, Peking University;
9,Center for Korean Studies, Fudan University;
10, Centre for Korean Research, University of British Colombia;
11,Center for Korean Studies, Australian National University
(注6)いうまでもなく、近代日本におけるアジア主義、日韓併合という失敗の歴史は、日本人の貴重な教訓である。
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