「親日派」の家系を裁く前に――植民地社会を生きた人々の「現場のロジック」
(1)祖先の行為と、子孫の責任
2026年8月、韓国の女優ハヨンが紹介した医師の家系をめぐり、曾祖父・安商浩の植民地期の行為が争点となった。
安商浩は、近代医学を学んだ医師として紹介される一方、日本統治への協力を疑わせる経歴も問題視されている。報道によれば、ハヨンの所属事務所は当初、疑惑を否定したものの、後に1916年の大正親睦会評議員名簿に安商浩の名があることを確認し、説明を訂正したという。ここには、具体的な史料に即して検証すべき問題がある。しかし、祖先の行為を検証することと、その子孫を血縁だけで非難することは、同じではない。
家族の功績を公に紹介したなら、その説明の正確さは問われてよい。紹介された人物の不都合な経歴について、説明を求めることもありうる。だが、曾祖父の行為を、ひ孫本人が行ったかのように扱うのは筋違いである。
祖先の功績を自分の名誉として語ることには検証が伴う。しかし、祖先の過失が血を通じて子孫に移るわけではない。功績の検証と、責任の世襲を混同してはならない。
イ・ジアの例も考えさせられる。2025年2月の声明で、彼女は2011年の報道を通じて祖父の行為を知り、民族問題研究所を訪れて資料を確認したと説明した。そのうえで祖父の行為を批判し、謝罪の意思を表明している。この声明をどう評価するかは別として、子孫が資料を調べ、自分の認識を示すことと、祖先の行為について本人同様の責任を負わされることは、区別すべきであろう。財産の由来や継承された利益が問題なら、それも具体的に調べればよい。家系そのものを汚点とする必要はない。
歴史的責任を血統で相続させるなら、歴史研究はいつしか家系の取締りになる。
(2)「親日」という判定の前に、現場を問う
この論争に発言した朴裕河氏は、植民地社会で指導的な立場にあった人々と統治体制との構造的な関係を指摘し、祖先の行為を理由とするハヨンへの非難を批判したと報じられている。
私がこの問題提起から受け取りたいのは、次の問いである。
植民地社会における人間の行動を、個人の道徳性だけで説明してよいのか。
日本統治下では、政治・教育・経済・文化の諸制度が植民地統治の枠組みに組み込まれていた。その社会で学校に通い、職に就き、商売をし、出版や医療に携われば、程度の差はあれ、統治体制との接点を持たざるを得なかった。
しかし、制度との接点があることと、支配への積極的な協力とは同じではない。
創氏改名についても、創氏と改名を区別し、制度の仕組みと実施の事情を検討する必要がある。届出の有無や日本式の名前だけを見て、その人の思想や政治的忠誠を判定することはできない。
学校で日本語を学んだ人、生活のために官庁に勤めた人、統治政策を積極的に宣伝した人、他者を動員した人、独立運動を支えた人、国外へ移った人、沈黙して生き延びた人。その行動を一つの箱に押し込めてしまえば、歴史の具体性は失われる。
また、これらの道が、誰にでも同じ条件で開かれていたわけでもない。財産、職業、家族の扶養、居住地、監視や処罰の危険によって、取りうる行動は異なったはずである。
だから私は、どこまでも「現場のロジック」を問いたい。
その人は、いつ、どこで、誰から、何を求められたのか。拒めば何を失ったのか。従えば何を得たのか。そして、その行為によって誰が利益を受け、誰が損害を被ったのか。
こうした問いを重ねてこそ、生活のための対応と、権力への便乗、積極的な加担との違いが見えてくる。
ただし、構造を説明すれば、個々の行為が免責されるわけではない。「あの時代だから仕方がなかった」と一括してしまえば、今度は抵抗した人々や、協力によって被害を受けた人々の経験が消えてしまう。
必要なのは、判定を避けることではない。判定に至るまでの仕事を省かないことである。
ここで私が批判したいのは、民族の構成員であるためには、祖先まで汚れなくなければならないという発想である。私はこれを「純潔主義」と呼びたい。韓国社会全体をそう呼ぶのではなく、家系の潔白を所属の条件にする論理への批判である。
35年間の植民地支配を経験した社会で、統治体制との接点を一つも持たずに生きられた人が、どれほどいたのか。
その接点を探し出しては、人物を汚し、家系を汚し、子孫の資格まで疑うなら、社会全体に刻まれた植民地支配の歴史が、個人の道徳的汚点へと置き換えられてしまう。
「親日派」という言葉を貼ったところで、研究が終わってはならない。むしろ、そこから何を調べるのかが問われる。
解放後の親日派清算についても、旧植民地期の人材が国家の中枢に残った過程を、単なる人材不足として片づけることはできない。誰がその継続を求め、誰が清算を阻み、誰が排除されたのか。そこにも権力と利害の問題がある。小野容照『親日派―売国と愛国の韓国史』は、この問題を考えるための参考文献である。
私が求めるのは、植民地支配を正当化する歴史でも、協力した人物を一律に救済する歴史でもない。人々が置かれた条件と、そのもとで行ったことを、具体的に理解し、評価する歴史である。
純潔な人物を選び出すために歴史を研究するのではない。人間が、どのような条件のもとで、何をしたのかを知るために研究するのである。
(3)二分法を批判する私たち自身の二分法
この問題は、現代の日韓関係にもつながっている。
植民地支配の被害と責任を明らかにすることは必要である。しかし、それをそのまま現在の一人ひとりの人格に重ね、韓国人を被害者、日本人を加害者として固定してしまえば、具体的な対話は難しくなる。
同じように、日本側で韓国の「親日/反日」という二分法を批判しながら、「韓国人はみんな反日だ」と言ってしまえば、自分が批判した論法を自分で繰り返している。
二分法に反対する人間が、二分法で相手を裁く。ここにこそ、見逃せない矛盾がある。
韓国の歴史認識に納得できないとき、その不満が「韓国人は信用できない」という集団への判断に変わることがある。逆に、日本人のある発言が「日本人は誰も反省していない」という判断に広がることもあるだろう。
そのたびに、相手の反応は自分の不信を裏づける証拠となる。互いの不信が、互いの不信を育てていくのである。
韓国文化を楽しむことと、韓国の人々を一人ひとりとして信頼することは、必ずしも一致しない。日本文化への親しみと、日本社会への信頼についても同様であろう。文化への好意だけで、歴史をめぐる不信が解けるとは限らない。
だから、日韓関係を考える出発点として私が重視したいのは、相手を好きになること以上に、相手を単純化しないことである。
歴史認識を共有できない相手とも、その人が何を経験し、何を根拠とし、何を恐れているのかを調べ、話すことはできる。相手の認識が形成された事情を理解することは、その主張のすべてに同意することではない。
また、二分法を退けることは、植民地支配の責任を曖昧にしたり、支配する側とされる側を同じ位置に置いたりすることでもない。責任を具体化するためにこそ、人々を一括りにする説明を退けるのである。
「親日派」という呼称も、「反日」という呼称も、説明すべき歴史や人間の代用品になってはならない。
祖先の札を子孫の胸に貼る前に、当人の言葉と行動を見よう。民族の札を相手の胸に貼る前に、その人の経験を聞こう。
そして歴史を論じるときは、どこまでも、現場のロジックへ戻ろう。
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