2009年2月15日日曜日

今は懐かしき換算率、Rateは、1057.60


かんとうのちょうせん人学校

思わず残存する文字資料にのみ心が奪われていたが、朝日新聞(2009年1月29日附け)を見た瞬間、その紙面に掲載された「間島の朝鮮人学校」を撮影した写真に驚かされた。
サーベルを手にした軍人(日本人)、教師(日本人+朝鮮人)が取り巻く中で、撮影用のポーズをする朝鮮人児童たち。

 さらに関連する写真を蒐集することで、画像イメージを通して多くの情報が入手できるにちがいない。

2009年2月11日水曜日

我が反省の弁:Globalismの落とし穴

Globalismを賛美し、しかも講義室で積極的に推奨してきただけに、2008年秋以来の世界同時不況、世界同時雇用不安、世界同時不動産価格下落などは、全く予想外の事態である。

2009年2月、台湾にて

台湾の2月を満喫している。
爽やかな風が吹く昼よりもむしろ、清々しい夜風に。

今回は、1945年8月15日以降の台湾居住朝鮮人の取扱、つまり朝鮮半島への引揚(「回国」)の実情を知りたいと願い、台湾総督府文書を保管する台湾文献館にて文書調査に従事してきた。

前回の4年前と比較して、格段と文書へのアクセスが容易になっており、すでにHPへのUpが出来上がっている。それだけに検索システムも完成しており、望む語句を手掛かりとした文書の画面が飛び出してくる。

戦前のPalau




戦前のPalauを紹介する写真。左の写真は日本人植民者による開拓村アイライ。中央は、コロールに建設された日本人町、右はPalau人のカイシャル村。

2009年2月3日火曜日

この数日間の調査

相変わらず調査に没頭している。
国会図書館憲政資料室、国立公文書館、外交史料館など。
引揚記録を通読しているが、意外と知られていないのは、「『敗戦国ニッポン』に帰りたくなかったニッポン人」である。