2009年4月25日土曜日

展示会説明文

KOORAI. EEN VISSCHERSHUISGEZIN. * EINE FISCHERFAMILIE.
朝鮮 漁夫の一家
 「NIPPON」に収められている朝鮮に関する情報(地図を除く)の大半は、天候不順や船体の故障などで日本に漂流・漂着し、長崎に廻送された朝鮮人などから、シーボルトが長崎で直接に聞き取りして入手したものです。 この図に見える大人の男四人は囲碁盤に興じています。その右側に立つ男は長い煙管を持っていますが、囲碁盤を囲む男の一人は口に煙管をくわえています。左側の二人は母親と子供です。着ている衣服は、いずれも庶民が着る伝統的な韓服です。かって、韓国民族は白衣民族とも呼ばれました。

KOORAI. KOOPLIEDEN EN SCHEEPSVOLK. *KAUFLEUTE UND SCHIFFSVOLK.
朝鮮 商人と水夫

この六人は、日本に漂着し、対馬藩長崎蔵屋敷に収容されて、帰国を待っていた三十六人の朝鮮人漂流者の中から選ばれた人たちです。対馬藩蔵屋敷内の朝鮮人収容施設における話し合いの図と言われています。 戸外に見える風景は、長崎湾です。ある人は朝鮮式の座り方、また立て膝(これも朝鮮式座り方の一つ)をしています。右側の二人が日本式の正座をしているように見えますが、それは目上の人に対する目下の者のマナーです。右端の人物は金 致潤だと言われています。儒生の金 致潤の側に、朝鮮から持参した『千字文』など二冊の本、掛け軸、硯があります。

KOORAI. EEN KUSTVAARDER. * EIN KÜSTENFAHい99RER.
沿岸航行船
日本に漂着した朝鮮の人々が乗っていた、沿岸航行用の小舟です。和船が日本海、東シナ海を渡るため、伝統的に頑丈な方形船首材を持ち、船首の尖った耐航性の良い細長船型であったのに対して、朝鮮の船は和船と同様に「刳り船」から変化した構造船ながら、和船とは対象的に浅喫水沿岸用の船であったので、耐波の必要が皆無でしたので、幅広型構造でした。舵と帆は取り外してあります。船室は竹とむしろで作られていました。船体の長さは10~15mです。マストはむしろで、木製の錨を巻き上げるための車が船尾の方に見えています。


KOORAI. EEN SCHIPPER. * EIN SCHIFFER.
朝鮮 船頭

沿岸航行船の持ち主である船頭の肖像です。シーボルトによると、六十歳台で、小柄で痩せており、年の割に若々しい感じだったようです。 KOORAI. EEN KOOPMAN. * EIN KAUFMANN.
朝鮮 商人
この商人は、日本への漂着によって船に搭載していた全財産を失い、その精神的ショックのために、悲しそうな顔をしていています。彼の帽子は馬巾とよばれ、材料は馬の毛です。朝鮮商人の姿が描かれているのは、大変に珍しいと言えます。 KOORAI. EEN MATŔOOS. * EIN SCHIFFSKNECHT.
朝鮮 水夫
シーボルトによれば、この水夫は二十三歳で、つり合いのとれた、がっしりした体格をしていたそうです。


KOORAI. EEN SCHEEPSJONGEN * EIN SCHFFSJUNGE.
朝鮮 船童

お下げ髪は独身男性であることを示します。シーボルトによると、彼があまりにも幼く、いとけないので、女の人と間違えがちだったそうです。 KOORAI. KUMTSJÛN.
朝鮮  金致潤
前の図版「商人と水夫」の右端にすわっていた人物で、儒生と言われています。シーボルトは彼から、重要な言語的、地理情報を得たと書いています。「金致潤」のローマ字標記は、kum tsjun となっています。(本文ではkum tsiun あるいはkum tsiên ) 。昔から朝鮮半島では、人の姓「金」はkum (Goldなどの意味)ではなく、kim と発音されてきました。 この誤りは、シーボルトが漢字音のローマ字化をする際に、日常生活の慣例を知らなかったからでしょう。 KOORAI. HÔSATSÊM.
朝鮮  許士瞻
シーボルトは、朝鮮人の中では、彼がヨーロッパ人に酷似していて、タタール人の原型と考えてよいと言っています。また、彼の風格有る風貌は上流階級に属しているからだと断言しています。防寒頭巾は毛皮の裏を利用しています。かざりのついたビロードで、うしろは肩まで下がっています。

SCRIPTURA COORAIANA
朝鮮文字 19世紀にハングルと命名される以前、朝鮮文字は「諺文」とも呼ばれました。筆順は、上から下へ、左から右です。シーボルトが生きた時代、ハングルは、庶民それも主に女性の文字でした。男性の大多数は、漢文を用いました。

KOORAI. TSIO-SIÊN P’HAL TO DSI TO.
朝鮮八道図

この地図は、有名な『三国通覧図説』(日本の林子平著)の写しです。この地図を示す目的は二つありました。第一に地方や都市の名を漢字(原字)で示し、ヨーロッパ人による歴史や地理の研究に役立てようとしました。第二に、郭成章によって石版で発行され、中国などに広く普及しました。


KOORAI.
朝鮮 服装、扇など

(1)(2)は、それぞれ男子用の上衣(チョゴリ)とズボン(パジ)男女とも上衣は日本、中国と同じく、右前にあわせます。(3)はワラ製のくつ(日本のわらじに似ている)(4)は、(5)(5a)は、それぞれの火皿と吸口の金具、(6)(7)はでなどの香料を入れるために、馬の毛で編んだ袋がついています。(8)(9)も団扇で、竹の骨に油脂が貼ってあり、水をつけてあおぐと水滴が散りかかって涼しく感じるためのものです。


KOORAI.{Gefäße, Trommel, Statuetten}
朝鮮 太鼓、偶像、道具など
(1)~(3)は 石に刻まれた仏像ですが、(1)は守護神(観音)、(2)はそれを助ける神()、(3)はおそらく観音の召使いでしょう。(4)(4a)は太鼓とその、(5)~(8)は陶器ですが、(5)(6)は茶碗、(7)(8)は酒あるいは調味料入れと考えられます。

KOORAI. { Münzen }
朝鮮 貨幣
日本を含む東アジア諸国の貨幣は、その真ん中にヒモを通すための穴があいています。保存や運搬に活用するからです。これらの貨幣は鉄や銅の鋳物です。(1a)(1b)(1c)および(2a)(2b)(2c)は朝鮮の銅貨で、その他は古い貨幣です。ただし、シーボルトが手にした最古のコインは、十二世紀の初めの頃でした。

KARTE VON DER KÔRAISCHEN HALBINSEL.
朝鮮半島の地図 -日本の資料による-
先の「朝鮮八道図」の漢字地名をローマ字化したものです。この地図は、縮尺も正しくなく、経度や緯度も天文学的調査にもとずくものではありませんから、価値を持ちません。しかし位置関係を把握できること、地名資料として役立ったことでしょう。ローマ字化にあたっては、シーボルトはホフマンの援助が大だったそうです。想像ですが、ホフマンは朝鮮語を理解していたからでしょう。 
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