2008年12月22日月曜日

1930年作成の台北地図


偶然に1930年作成の台北地図を発見。正確には「台北市地図」2万5千分の一。例によって、表記法は右から左。台北駅を中心にして、上部は台湾神社、下部は台湾総督府(1919年竣功)を取り巻く官庁街までの植民地空間を、日本人のための日本人による日本人自身が作成した地図である。この地図は、1896年4月1日に設立された台湾総督府による都市計画・都市建設や「帝国」日本のインフラ整備、各種建築物を網羅した一覧表である。清からの台湾割譲と軍事的占拠による台湾支配は、日本にとって最初の植民地建設である。
1,行政ーー台湾総督府、台湾高等法院、総督官邸、測候所、専売局、公会堂、郵便局
2,金融ーー台湾銀行(1937年8月4日竣功)
3,学校ーー台北帝国大学、台北高校、第1高等女学校、第2高等女学校、第3高等女学校、第1中学校、第2中学校、樺山小学校、
4,病院ーー台北医院
5,図書館・博物館ーー台湾総督府博物館
6,駅ー台北駅 (1901年8月竣功)
7,ホテル・デパート・映画館・劇場ーー台湾鉄道ホテル
8,企業ー三井物産
9,寺院ーー東本願寺
10,教会ーー日本基督教団台北幸町教会(1916年竣功)
11,神社ーー台湾神社
 
 こうした建築物を列挙しながら気づいたことは、台湾支配がスタートした直後、最初に建設したのが総督府官僚たちの官舎であったことは言うまでもないとして、その次に「国語学校校舎」(日本語普及を目的に設立、1987年竣功、煉瓦造り平屋建て)であったことである。



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