馬齢を重ねてきた今となって、残りの人生は貴重である。「如何にしても死に行くべき身を、心ばかりに惜しみ持つとも叶ふべからず」(『正法眼造』)。本Blogを書き続ける時間さえないのも事実である。しかしながら我が人生の来し方・行く末を書き続けながら、今を生きる「確かな手応え」を心密かに楽しみたいと思う。凡庸な生き方をしてきた私であるだけに、この歳になって、自由に書き続けることで。
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昨日は、久しぶりに一日を我が為に費やした。今風に言えば、「Offを自由に生きた」と言っても良いだろう。朝遅くまでBedで過ごして、独自ブレンドのコーヒーを嗜み、好物のヨーグルトを口にして、そして仕事とは全く縁遠いジャンルの書物を読み進めたのだから。とりわけ来週に予定している台湾訪問のための資料調査に大部分の時間を費やした。日本統治期台湾に関する情報を求めて、Net検索に努めた。検索語は、「日本統治期台湾」、「日本統治期 台北」などを思いつくままに書き込みながら、Netを遊んだ。
思いも掛けない情報に接した。
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その1)http://jdzg.exblog.jp/4016355/
台湾日本統治期裁判文書
東文研セミナーのご案内(7月12日)日時:7月12日(水)13:00〜15:00場所:東京大学法学部中会議室(法文1号館法学部側2階。3階法学部事務室に上がる階段の中二階的な部分のドアをはいって左に進む)講演者:王 泰升 氏(Wang Taisheng)(国立台湾大学教授)題目:「台湾日本統治期裁判文書」(仮題)(中国語。通訳は西 英昭氏。京都大学大学院法学研究科研究員・東京大学東洋文化研究所非常勤講師)内容:近年、日本統治期の台湾における裁判文書原本が台湾において発見され、整理作業が進められています。この資料群は台湾法史研究においても日本近代法史研究においても重要なものです。この資料群を紹介するとともに研究上の課題について検討します。主催:東京大学東洋文化研究所班研究「中国法研究における固有法史研究、近代法史研究及び現代法研究の総合の試み」
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その2)http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/kouenkai/WS3_10.htm
「台北高等商業学校卒業生の動向に関する一考察」(『東洋史訪』8,2002.3)や「日本統治期の台湾における高等商業教育」(『現代台湾研究』23,2002.7)などの多数の論考を発表している横井香織の今回の報告は、「日本統治時代の台湾におけるアジア調査-大正南進期を中心に」と題された。横井の関心は、「近代日本が、アジア地域をどのように調査・研究し、アジアをどう認識していたのかについて、台湾総督府を中心に展開された調査活動に着目してその実態を解明し、歴史的意義を検証すること」にある。近年、「戦後のアジア研究・フィールド調査の源流を探る」とうたった『岩波講座「帝国」日本の学知』第6巻「地域研究としてのアジア」(岩波書店、2006年)が刊行され、そこに収録された松重充浩の「戦前・戦中期高等商業学校のアジア調査」がおもに、山口高等商業学校(現在の山口大学経済学部の母体)をとりあげて論じたように、戦前のアジア認識やアジア調査・研究をめぐって、高等商業学校が重要なフィールドとして提起されている。戦前の高等商業学校は、「内地」だけでなく、朝鮮や台湾などにもあった。横井は、ほとんど取り上げられてこなかった「外地」である台湾の高等商業学校の研究を開拓したひとりである。 報告では、台湾銀行、南洋協会台湾支部、台北高等商業学校の順で、台湾の諸機関におけるアジア調査について、ついで台湾総督府の「南支南洋調査」について述べられた。台北高等商業学校の卒業生が台湾総督府や台湾銀行に就職し、総督府関係者が台北高商の校長や教官に就任するなど、台湾銀行(調査課を設置)、台北高等商業学校(南支南洋経済研究会の活動や、海外修学旅行の実施)、南洋協会台湾支部、台湾総督府(官房調査課を置く)はそれぞれに人脈と交流をつくりあげ、それらをとおして、官民両機関の調査実績が台湾総督府に蓄積されてゆく構造があった、と横井は論述した。 横井の報告は、おもに「南支南洋」というアジアにむけられた帝国日本の学知を、台湾における人材育成と人脈、資料(報告書など)の作成と蓄積においてとらえたといえよう。こうした観点での論述は、「内地」の高等商業学校においても待たれるところであるし、また、報告後の論議でも示されたように、台湾総督府に集積した調査のその内容の分析も、これからの課題となる。出席者7名。(経済学部助教授 阿部安成)
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などなど。予想だにしなかった情報である。興味深かった。台湾を「朝鮮」に置き換えて考える習慣を持つだけに。
その後、日本統治期台北の古地図を求めて、Netを歩き回ったが、徒に時間を浪費するだけであった。ふと、我が書棚を眺めると、『日本地理大系11---台湾篇』(改造社、1930年)が目に飛び込む。日本統治期の台北地図には、当時の地名を書き込んであり、台北駅・台湾総督府・総督府病院・台湾博物館などを眼で追った。
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