2008年12月25日木曜日

目録作成と迂闊さ

 海外に設立された、ある大学所蔵の目録を作成している。
 数年前に、その大学図書館の基本方針が変更となり、分館方式から一カ所集中方式になったからである。したがってこれまで図書館で所蔵していた和本に加えて、最近、大学内の各所から発見された和本群も合わせて一括された。ほぼ全体像が把握できるようになったのは、幸いである。
 ところで、問題が、これからである。これまでにも3名の専門家によって、その大学所蔵和本目録が作成されたが、なぜか我々が蔵書目録作成に着手したと聞きつけた3名のうちのお一人T先生が猛烈な抗議を繰り返した。理由らしき理由もないのであるが、その方に依れば、自分が優先権を有しているので、徒に手をつけるなという口ぶりである。未調査であるので、その調査が終了するまで、他の研究者が着手するのは、確かに仁義に反する。
 しかしながらすでに調査が完了して、その調査結果を公表しているとすれば、いつまでT先生の無理難題が通じるのであろうか。しかし、噂では、私たちを含めて、もう一カ所の研究機関の発表にも圧力を掛けているという。
 さて、執拗な抗議に音を上げた私たちも、T先生が手がけた調査を省いて、それ以外の分野の調査であれば、問題は無いだろうと信じて、それを実施したが、確かに私たちに抗議文が送りつけられることはなかった。
 さて、問題はこれからである。そのT先生が誰にも手をつけさせない部分の調査に関して、先日、司書から手渡された資料(受け入れ原簿)を見て、腰を抜かして驚くこととなった。一目瞭然にその図書館作成資料そのままに、T先生の所蔵目録が作られていたからである。逆に言えば、T先生は書誌学調査を実施することなくして、単に受け入れ原簿を転記しただけであった。その作成は50歳代の働き盛りの時期。よもやそうした手を抜いた仕事をなさっておいでであったとは。
 そうだからこそ、それ以降、誰が調査に手を染めようとも、T先生は強行に抗議文を送りつけてきたと推測できよう。自らの手抜き「工事」が白日の元にさらけ出されることの屈辱は、何としても避けなくてはならないからである。T先生の自尊心は、そうした恥辱を絶えられなかっただろう、たとえ自ら撒いた「種」であろうとも。






 

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