2009年1月14日水曜日

Palau通信第5便

2009年1月9日
 パラオに縁を持つ原君のルート探しが始まった。僅かな情報によると、彼の祖父はコロール島に居住なさったそうである。若干の混乱があったものの、熱帯産業研究所に勤務なさったと判明する。その研究所があった場所を探すために車を走らせたが、コロール市内ではなく、研究所はパラオ本島アイミリーキ村に設立されたというので、早速、その地に向かう。地元の人々が「Nekken」と記憶する場所である。その一帯は確かに人工的に植樹された椰子の木に囲まれた地域であり、研究目的に人為的な植林が実施されたと推測できるが、現在、その研究所が存在した痕跡を探すことは不可能なほど密林に覆われている。木々を取り除き、草を刈り、表面の土壌を除去すれば、何かの支柱石などが発見できようが、その努力は無駄であり、むしろ自然に還るようにすべきであろう。人々の記憶の中に、「Nekken」という言葉が残り続けようとも。

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