2009年1月7日
「鶏鳴」
この言葉をすっかり忘れてしまっていたが、パラオの朝は、民宿の四方から聞こえてくる鳴き声が、起床の合図となった。
「 」
本日の調査の圧巻は、昭和15年建設の官弊大社南洋神社であった。
日本全国津々浦々に鎮座する神々の社を、海外の植民地にも拡大することは、1901年(明治34年)創建の台湾神社がその嚆矢である。その後も、いわゆる外地に神社が多数創建されたが、各地域に官弊大社が創建され始めるのは、官弊大社・樺太神社(1911年・明治44年)をもって最初とする。その後、1919年(大正8年)7月18日付けの内閣告示第12号「朝鮮神社を創立し官弊大社に列格せらるる旨仰出」によって、朝鮮神社創建が決定されたものの、1官弊大社「朝鮮神宮」の創建は1925年(大正14年)10月まで待たざるを得なかった。祭神を天照大神と明治天皇と定めて鎮座式が挙行されたが、その祭神は外地の官弊大社のモデルを提供することとなった。
1901年(明治34年)創建の台湾神社は、1944年(昭和19年)6月に官弊大社「台湾神宮」に格上げされ、祭神は天照大神であったし、大陸に目を向けると、遼東半島旅順に官弊大社「関東神宮」が創建され、1944年(昭和19年)10月1日に鎮座式が挙行された。祭神は、同じく天照大神と明治神宮であった。
さて、南洋神社設立の経緯を辿れば、皇紀2600年を祝福した1940年(昭和15年)の紀元節(2月11日)の記念行事であったが、実際には計画が大幅に遅れて、1940年(昭和15年)11月1日、官弊大社の鎮座式が開催された。祭神は、天照大神。
今ここで、改めて「日本帝国の南進基地」建設と皇国臣民化運動と結びつけて、官弊大社南洋神社を説明する事に異論を差し挟むものではないが、我が関心は、さまざまな理論的説明よりも南洋神社神域の実測調査、平面調査、データの獲得にある。さらに言えば、設計図さえ手にはいるのであれば、それで解決する問題であるが、それが困難である場合、実測図を作るために、測量さえ実施したいとも願う。
我が知る限り、朝鮮神宮・台湾神宮はその痕跡を失っている以上、その現存状態が比較的良好な南洋神社の調査は、不可欠である(樺太神社に関する情報は未入手)。
ちなみにアメリカ軍の爆撃が激しくなるにつれて、昭和20年5月以降に、パラオ本島大和村に仮本殿が建造されたという。空襲によって、本殿が甚大な被害を受けたからでもある。
ところで今日も暑い一日であった。水分補給に何本のペットボトルを飲み干しただろうか。
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南洋神社
天照大神
昭和15年11月1日
パラオ島コロール町アルミス高地
官幣大社
朝日神社
天照大神
昭和14年9月3日
パラオ島朝日村
清水神社
天照大神
昭和15年6月1日
パラオ島清水村
瑞穂神社
天照大神金比羅権現
昭和15年9月1日
パラオ島瑞穂村
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